【つれづれ】「好き」や「憧れ」を抱き続けることは「奴隷」のようなものかもしれない
かなり抽象的なお話。
ミュージカル「RENT」を好きな友達が、
「見に行きたいんだけど、チケット取れるかわかんないし
お金の工面をどうしよう!」
って話をしているのを聞いた。
何かを「好き」なことはとても素晴らしいことだけれど
それに縛られてしまうのはまた不自由なのかもしれない。
自分の可能性も潰しているのかもしれない。
と思いながらお茶をすすった。
本人には私が考えてることは伝えられなかった。
そして、ちょっと前に読んでたマンガを思いだした。
■戦え、血を吐きながら。
年齢や立場で揶揄されがちな
「好き」な趣味と現実にどう折り合いをつけてくか?みたいな話。
主人公の親友は現実に「降りていく」のを選ぶが、
現実に「降りることができない」のが主人公。
きれいにまとまったお話だ、と思ったのが当時の印象。
(※なお私は、結局ファンタジーで少女漫画におさまりそうな
「東京タラレバ娘」最新刊の展開には納得いってない、といえば
どんな話かは検討つくのではないでしょうか。)
アラサーになった私も、
間違いなく「現実に折り合い付けられない」主人公側。
「好き」というよりは、「夢」だろうか。
転職するときにも、
小さいころの自分が何をしたかったかを思いだして選択した。
そうでなければ今の職場にたどり着けていないと思うし、
今は「逃げ恥」でいうやりがい搾取にあってるだけかもしれない。
そんな状況を踏まえて今年に入ってから、いくつかの選択をしている。
都度、私は「好き」や「夢」や「幸せ」や「安定」
どれを選ぶか頭を抱えては、結局捨てるべきものを捨てられず
また漫然とリスクを背負って
「とりあえず」小さな頃の自分の思いを満たすことを選んだ。
選んだからには、幸せになるしかないとは思っている。
誰に何を言われても。