【つれづれ】60日間文章の赤入れを続けて気が付いた、コミュニケーションがうまく取れない理由
足りないコトバで伝わるはずなんてない。
「自分のことは説明なんかしてなくても理解してくれる」
ちょっと前に、「トリセツ」という曲が話題になったことを知っている人も多いだろう。
「自分の取扱説明書」をつらつらと歌うような曲。
別にこのアーティストをどうこういうわけではないけど
自己中心的でも認められるのが今の若者のコミュニケーションなのか
って思ってぞっとしたのを覚えている。
世間はそんなに甘くはないのに
言葉足らずでもわかってもらえると、
そう思っている人がどれだけ多いことだろう。
もちろん、私もそうなんだけれど。
思った以上に相手に伝えるのは難しい。
縁あって人の文章に赤をいれまくることをしている。
最初は出てくる文章を汲み取ろうと思って
気を使いながらやっていたのだけれど
いろいろな状況が重なって徹底的に赤字を入れるようになった。
ドライに割り切ってやるのには良心が痛むけれど、
「汲み取ろう」という気持ちをなくしたことで
「伝える気がないもの」
「伝わってるつもりだと思っているもの」
「すごい気を使って伝えようとしてくれているもの」
全部ダイレクトに伝わってくる。
コミュニケーション上手ってなんだろう
あまり「会話」のない家庭で育ってきたからなのか。
私はもともとコミュニケーションが得意なわけではない。
(ありがたいことに、コミュニケーションが取れない人ではないよね、と言われる程度)
また、新人のときに散々どなられる体育会系の職場にいたもので
シャカイ人として生きるために
出来る限り相手の気持ちを汲み取り 、
トゲが立たないように進めようと「する」癖をつけていたんだと思う。
それでうまくいくことのほうが多いのだけれど、
決して健全だとも限らないなあと気が付いた。
最近は、「人の意をくみ取ること」
を一切しなくてもいいことに若干快感を覚え始めてこ の点はちょっとマズいと思っているw
よく「社内の人間を納得させることもできずに企画が通るわけがな い」というのは
まさにそれだなあ、とようやく「腑に落ちた」
ちなみに、話題に挙げてしまったトリセツはこちらから。
別に批判するわけではなく、これが若者のスタイルなのかなあ。